笑顔のブログ

心配しすぎは「損」

2014年9月20日  

みなさんこんにちは。今年の夏は夏らしい日がほとんどなくあっという間に秋になりました。夢季家の二本の柿の葉も黄や赤に色付き始めています。さっそく「栗ごはん」もいただきましたし、毎年会員の深山先生からいただく巨峰もみんなでおいしく頂きました。
旬の物をいただけるってことはほんとにありがたいですね。そろそろ夢季家の畑も冬野菜の準備に取りかかります。
さて、皆さんはこれから先のご自分の人生について心配なことなどありませんか?エネルギッシュな若い方とは違い、年を重ねるごとに周りにもいろんな現象が起こり始め「老後の生活は大丈夫だろうか。」「子供の世話にはなりたくないが一人暮らしを考えると心配で・・。」「病気になったらどうしよう・・・。」「認知症になったり半身付随になって介護が必要になったら・・。」などと不安材料には事欠きません。しかし老いて病気になったらお金がないと子どもに迷惑をかけるので、楽しみな旅行もがまんしてお金を使わないようにしようとすると「ほんとうに」病気になるそうです。
私も若い時は心配事などありませんでした。FP21を立ち上げた時も当初は毎年赤字続きで、まわりから「こんなに赤字で心配じゃないですか?」と言われましたが、まだ若かったわたしは一切心配ではありませんでした。「いつか必ずおかねは入ってくる。」と信じてやっていましたから・・。
そして8年たったころ、ほんとに周りの人のおかげで軌道に乗ってきました。「桃栗三年柿八年」といいますが私は「柿」でした。今は当時のように勢いがないせいなのか、年の初めには「会社」「家族」「健康」のことがさすがに少し心配になってきました。
 でも、老後お金がなくても少しの年金はあるので食べてはいけそうですし、もしひとり暮らしになっても生きてはいけます。健康をそこなってもまだなんとか・・。介護が必要になっても施設でなんとか・・。自分で自分のことができなくなって万が一、自宅で一人で死んでいくということになったとしてもわたしは、決して惨めだとは思っていません。これまで生きてきて、たくさんの人との「出会い」と「別れ」、手に入れたものは失い、今でも自分が持っているお金、健康、家族、友人、知人、いのちなどすべてがいつかは必ず無くなります。しかし人間はついこれらをいつまでも持っていようとするものです。すると失うことに対する心配や苦しみが起こります。いつかすべてが無くなることが「自然であたりまえ」だと思えるなら心配も苦しみもありません。これから先のことを心配しても損です。私は「自分の人生のシナリオを描いたのは生前の自分で、これからのわたしの人生もどのようになるのかもすべて決まっている。」と思うようにしています。心配してもなるようにしかなりませんからね。


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