2016年9月29日  

みなさんこんにちは。吹く風もようやく秋らしくなり「蝉の声」から「コオロギ・鈴虫の音」に代わり夢季家の庭でも大合唱が始まりました。今年の夏は暑い日が続いたのがよったのか野口さん夫婦が作ってくれた夏野菜は大収穫で面談に見えた会員さんにたくさん持って帰っていただきました。また「夏休みゆきや子ども会・親子合宿道場」では3家族集合で子供8名。親も子供たちもワイワイガヤガヤで楽しい時を過ごしました。翌日の時間割のひとつは書道教室でした。テーマは夢季家の床の間にかけてある掛け軸の「夢」です。5歳の桃ちゃんも参加してひらがなで「ゆめ」を書いてくれました。私も小学生のころ近所に習字を習いに行っていたのであの墨のかおりと共にふと当時のことを思い出しとてもなつかしい幸せな気分になりました。

さて20年ほど前、私の母の葬儀の時のことです。お寺のご住職から「葬儀は悲しんではいけませんよ。葬儀とは祝いの儀式なんですよ。」と言われました。人は生まれた瞬間から死に向かって走り始めているとよく言われます。いつか必ず死を迎えますが生まれてから死ぬまでの間に「前世で習得できなかったこと」を習得するためにまた今世に生まれてきたらしいのです。この世での単位修得が無事終了しようやく迎えられる「人生の卒業式」、それが「葬儀」だということでした。葬儀を境に「天地自然」に戻ることができるので喜ぶ事なのだと言われました。母を亡くした当時「そう言われても・・。」とただただ67歳で亡くなったことが悲しくて「これから楽をさせてやれると思っていたのに」とくやしさばかりでした。

今そんなことを思い出しています。私たちはこの命を両親から授かった日からずっと「自分の一生」としてを歩き始め、今も生き抜こうとしています。そしていつ出会うかわかりませんが必ず「死ぬ日」を迎えます。「葬儀」は「人生の卒業式」、「心から祝ってあげるべきもの」だと思えばこれから葬儀に臨んだときの思いも少し変わるかもしれません。「もう会えない」「いっしょに笑えない」ことはとても寂しいことですが「ようやく修行が終わって楽になれたかもしれない」と思えば笑顔で「おつかれさまでした~。あちらの世界でゆっくりしてね~。」と心の中で言えるかもしれません。そちらのほうか亡くなった人はむしろ喜んでくれるのかもしれないとも思うようになりました。
生まれてきたからにはいつか必ず「死」を迎えます。太古の昔からもし人が亡くなった時に「やっとあちらの世界に戻れてよかったね」と「祝う」のがあたりまえになっていたら、もしそうだったら母より先に父が亡くなった時にあんなにも大泣きしなくてもよかったのになどど思ったりもします。


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