2011年7月17日  

みなさんこんにちは。わたしたちは常にいろんな人と出会い、またお世話になり家族、友人、知人に支えられ1日1日をすごしています。
自分の思い通りになればうれしいし、逆に、ならなかったら不平不満たらたら、愚痴をこぼしたりもします。
自分と同じ人間が世の中にひとりもいないのですから、相手が思い通りにうごかないのもごく当たり前のことですね。
「他人の代表が配偶者である」とはよく言われることですが、夫婦のことを考えてみるとよくわかります。
どういう訳かお互い言いたい事だらけで、また言えないもとだらけで、それでもなんだかんだ言いながら生活をしているわたし達ですが、本当はいつも「和」を求めています。
「和」というと「和む」とか「和気藹藹(あいあい)」とか「柔和」「温和」などの言葉を思い浮かべますが、何と言っても「平和」という言葉を思い出す人がたくさんいるでしょう。
「平和」とは戦争や争い事がない状態です。安らかで和やかなことですね。
わたしたちは夫婦、家族、会社、友人、知人と仲良くすることを望んで「和」を求めているのかもしれません。
ところが、「和」にはもう一つ大切な意味があります。「うまく混ざり合う」ということです。
違うもの同士が混ざり合って新しいものを生みだすわけです。「調和」とか「中和」というのもこの意味ですね。
逆に「同」は、相手に同調することで、もし我慢して同調しているのであれば、同じものができるだけで決して新しいものは生まれません。水と水を混ぜても水にしかならないのと同じです。
このように「和」と「同」は同じように見えるかもしれませんが、そうではないようです。
「和」には主体性があり自分をしっかり主張しています。でも「同」には主体性がありません。「同」には「迎合する」という意味もあり、これは自分の考えは横へ置いといて、ただ相手に合わせ、機嫌をとっているだけなのです。
単に仲がいいだけでは「和」とは言えません。
夫婦も本当に仲良しになりたかったら「同」ではなく「和」を持ってけんかしながらも自分を主張してみてください。
「おだやかな言葉」を使えばけんかにはなりません。「同化」はいけませんね。孔子の論語にも次のような言葉があります。
    論語
「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。」

君子はしっかりした意見を持っているから調和しても迎合することはない。
でも小人には信念がないから人にすぐに迎合する。常に心がぶれている。

わたしたちも君子のようにありたいものですね。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


トップへトップへ