2017年9月20日  

皆さんこんにちは。秋らしく朝夕は涼しくなり夢季家は夜になると秋の虫たちの大合唱です。数年前会員の花田社長が夢季家の2つの池を地下のパイプでつないでくれ、椿池から菖蒲池へ水が流れるようになりました。また椿池の上の方から滝が流れるようにもしてくれました。滝の水が流れ、池に落ちていく音は季節感を一段と引き立ててくれます。「旬を味わう会」も三か月に一度東京から来られる木皿ファンが集まり、夜の虫たちの大合唱に負けず劣らずワイワイガヤガヤでおいしいお酒と料理で楽しいひとときでした。
さて、私は前にも書きましたが「あまり儲かっていないようなお店」でお金を使うように今でも心がけています。たとえば私が3,000円の食事をしたとします。1日20,000円の売り上げのお店と200,000円の売り上げのお店なら前者のお店のほうがより喜んでくれるような気がします。「同じもの」を得るにしても「少ししか持たない人」はとてもうれしく思い、得られたことに対して感謝をするかもしれませんが「多くのものを持っている人」はもしかしたらうれしいという感情や感謝の心はあまりわかないのかもしれません。「持ち物(広い意味での)」は少ないほうが何かを得られた時の喜びは大きいものです。
またすこし話は違いますが、私の妻は靴が大好きで若い時から揃えたものがたくさんあり外出する時にはどれにしようかいつも迷っているようです。(まあそれを楽しんでいるようでもありますが。)私のほうはといえば妻の10分の1も持たないので迷うこともありません。シンプルですぐに外出できます。仕事にしてもわたしは「プランナー」しかできませんので「1点集中」コツコツ、コツコツやってきただけです。
でもいろんな能力のある人の中には、あれもやってみようこれもやってみようといろんな仕事にチャレンジする方もいますがどれもうまくいかず時間はかけたのに結局「実のり」がなかったなんていう例もあります。
たとえばすし屋で「まぐろと鯛」しか知らない人は迷うことなくすぐに注文できますが他に「えび、うに、あなご、さば、ぶり」なんていうのを知っていれば「どれからたのもうかなぁ」と悩むし「あなご!」と言ったら「きょうはもう終わってしまったんですよ・・。」なんて大将から言われてがっかりすることもあるかもしれません。
いろんな「能力」があるとむやみに手を広げすぎるかもしれませんし、へんに「知識」があると判断材料が多いがゆえにかえって迷い悩み決断が遅れてしまうこともあるようです。「能力や知識」もまあまあでいいのかもしれません。
数年前から書店では「断捨離」とか「シンプルな暮らし」などというタイトルの本が目立ちます。しかしそれは今に始まったことではなく遠く紀元前、まだ日本では稲作も始まっていなかったころに中国で老子が「多くを持たず多くを求めず。知識も欲求も控えめがよい。無為自然に生きていれば足りなければ必要なものが自然に入ってくる。」と語っていたことなのです。そのほうがずっと「静かに」暮らしていけるような気がしませんか。


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